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復帰に向けて2年の歳月がすぎていきました。
私は、15年前にバプテスマをうけました。
19歳のときです。
中学時代から新約聖書を読み始め、旧約聖書も読みたいと望んでいた矢先、高1のとき、クラスメイトから真理を聞きました。
新世界訳聖書をプレゼントされたり、雑誌を定期的に受け取りました。
家庭聖書研究に大会など、信者でない両親はまったく反対しませんでした。
戦時中に証人たちが受けた迫害や、家庭生活についての聖書的な指針、抑うつに対処する方法などを知るに連れ、自然と祈りで神に近づきたいと思うようになりました。
フルタイムの仕事をしながら、奉仕の特権を得たいと考えるようになり、パートタイムに切り替えて、補助開拓奉仕を始めました。
そのころ両親が離婚したり、1人残された父が自殺してしまい、感情をコントロールできなくなった私は、精神病院に入院しました。
今でもその頃のことはうまく説明できません。
退院後、再び補助開拓奉仕を行い、必要で来ていた姉妹の協力もあって、開拓奉仕もとらえることができました。
まずは地元の王国会館建設のため積極的に奉仕しました。
開拓者学校に行き、前途は洋々でした。
もともと結婚願望が強かったものの、独身の兄弟との気持ちのすれ違いが多く、幾度も振る舞いのことで長老兄弟から助言をいただきました。
30代を目前にして気になっていた兄弟とのお付き合いができそうでしたが、結婚を意識するあまり自己中心的な思いが頭をもたげ、愛想を付かされてしまいました。
そのころインターネットで証人たちのサイトを閲覧したり、チャットで英会話するのが習慣になっていました。
そうしたきっかけで知り合った人と会うようになり、道徳的逸脱が生じました。
巡回監督との牧羊の際は、言いたくないことは言わなくてもよいといわれ、黙っていましたが、後に地元の会衆の兄弟に打ち明け、審理委員会にかけられました。
私は証人以外の道は考えられず、集会に行ったり、復帰願いを何度も提出しました。
一人暮らしをするようになり、仕事に没頭し、引越し先の集会で雑誌を受け取っています。
忙しさにかまけて、個人研究や祈りがおろそかになっているのは否めません。
敬虔な悲しみがたりないとか言われても、幾度も涙を流しました。
昔のように自殺を企てるほど自分を悲しみに追い込みたいとは思いません。
以前から、がんばりすぎないで、とよく言われたものです。
良い立場で神に仕えてきた12年間で、疲れがたまったのでしょうか。

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